【新刊のお知らせ】『英国幽霊いまむかし』

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。今年初の投稿は、南條城主の新刊のお知らせです。二月上旬に国書刊行会より南條竹則編/南條竹則、高沢
イギリスは18世紀以来怪談が盛んに書かれた国だが、それが文芸の一分野として成立する以前に、怪談実話やフォークロアの形で長い伝統を有していた。本書は、そうした素朴な幽霊譚から次第に洗練された小説形式が生み出されるさまを、時代を追って辿る英国怪談アンソロジーである。M・R・ジェイムズが古文書から発掘した中世の怪談実話に始まり、17世紀英国を騒がせた怪現象「テッドワースの鼓手」事件の報告書、18世紀にダニエル・デフォーが記録した幽霊実見譚、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズの幽霊バラッド、19世紀からは英国幽霊小説の白眉と称されるブルワー=リットン「幽霊屋敷」、奇書『インゴルズビー伝説』のユーモラスな怪異譚、子供の幽霊が哀切極まるJ・H・リデル夫人「胡桃屋敷」、20世紀に入り近代怪奇小説を完成させたM・R・ジェイムズとその継承者H・R・ウェイクフィールドの傑作、交霊会でジョナサン・スウィフトの霊が降りるW・B・イェイツの戯曲、A・C・ベンスンの中篇「最後の一厘」まで14篇を収録。全篇新訳。
最後まで謎だった木元さん 甕由己夫
私が哲学科の学生だと知ると、微笑みながら哲学を猛批判してきた木元さん。
口角は上がっているが、眼は一ミリも笑っていない。
(本当の専攻は論理学ですということで許してもらった)
色々な獣肉を食べた話で盛り上がっていたら、とつぜん「ネコ大好き、フリスキー」と突拍子もない声で叫んだ木元さん。
「ネコが大好き」という意味ではなく、「ネコが大好き」という意味らしい。
(日本語って本当に難しい)
中国の宴会で、子供たちの前に料理が運ばれてくる前に、自分がとっとと食べ始めていた木元お父さん。
隣を見たら、お母さんも食べ始めていた。
(おかげで子供たちはたくましく育った、かな?)
スロー人、花山大吉。「お~か~ら~と~さ~け~」
私が一番好きだった、木元さんのダジャレネタ。
(ダジャレ自体より、フォローが秀逸)
機嫌がいいのか悪いのか、私のことが好きなのかのか嫌いなのか、最後まで謎だった木元さん。
またお酒を飲む機会もあるだろうと思っていたけれど、それもなくなってしまったんですね、木元さん。
木元さんのダジャレ 星衛(元文藝春秋 音楽家)
この夏、ドイツから来客がありました。久しぶりにドイツ語が使えると張り切っていたのですが、ちょっと錆びついていて流暢に話せませんでした。会話は瞬発力、囲碁でいう一手十秒どころではありません、一手一秒で話さないといけないから大変、それにどうしても英語が先に出てきてしまう。ともに身長180センチ超の若いドイツ人夫婦は、私を眼下に見下ろしながら、私がドイツ語を間違えるたびにいちいち訂正してくださる。向学心旺盛ですから最初は勉強になるとは思ったのですが、私の英語交じりの会話を「Dinglish(Deutsch+English)」などと嗤うに及んで、なんだかだんだん嫌気がさしてくるのでした。日本の木彫の話になったとき、うっかり言い間違えると、さっそく「schneidenは紙を切るとき、木を切るときはschnitten」と絡んできたので、遂に堪忍袋の緒が切れた。
「ごちゃごちゃうるさいぞ、図体ばかりでかいゲルマン野郎め、そりゃ、ドイツ語会話は拙いさ、なんせ久しぶり、すっかりマイナー言語と化したドイツ語なぞ使う機会はめったにないからな、でも、俺はこのとおりテメェらの言っていることは全部理解しているぢゃあないか、schneidenとschnitten? なめるな、そんなことくらいわかってらぁ、咄嗟に言い間違えただけじゃないか、オメェらのためにわざわざ空港まで迎えに行き、宿を提供し、東京を案内して、一生懸命ドイツ語を話してやってるんぢゃあねェか。Dinglishだと? よしわかった、もうドイツ語なんぞはやめにしてやる、英語だけにするからそう思え」と啖呵を切ってやろうと思ったが、結句、日本人の曖昧な微笑を浮かべて「(教えてくれて)ありがとう」と返すのが精一杯。せめて「いちいちドイツ語授業をありがとね」と嫌味のひとつも言ってやればよかったと切歯扼腕。
この失礼なドイツ人若夫婦との会話のなかで、木彫の話になり、彼らがバイエルンから来たことに気を使って、「君らにもリーメンシュナイダーという素晴らしい木彫家がいるではないか」などとお世辞を言った瞬間、記憶とは不思議なもので、私の脳裏に木元さんの顔が浮かびました。
幡谷の中華料理店龍口酒家での、南條竹則先生こと「でふ王」宮廷の宴席に、私は笛を吹く宮廷楽師カペルマイスターとして随行を許されておりました。南條作品には「カペル君」として登場しております。知的レベルの高い、精神の貴族的な、男ばかりの元老院的宴会で、楽師としての私は「よっ! すごい!」と宴席を囃し立てる半ば道化、それを嬉々として勤めておりました。木元さんにもそこでご一緒したわけです。いつも楽しそうな顔をして、洒脱な感じで、ダジャレをぶっ放すなどして柔らかい感じでしたが、根底の圧倒的教養は疑いようもなく、彼もまた元老院の一員であることは明白でした。
チャイナハウス龍口酒家の宴席では、最後に、リーメンという緑色の油麺で〆となるのが通例で、そのとき、木元さんが、「おお、リーメン! リーメンシュナイダー!」とまたまた洒落を発せられたことがありました。幾分小声で遠慮がちな言い方だったのは、リーメンシュナイダーがちょっとマニアックと自覚されてのことと察しますが、それを聞いて、私は思わず「ふっ」と笑ってしまったのです。洒落を言う人はちょっとでも受けると嬉しいのでしょうね、「お、やはり」と私に笑顔を向けて来られました。私が南ドイツのバイエルン地方で幼少期を送ったことをご存じだったのでしょう、リーメンシュナイダーの木彫を知っていてもおかしくないと、瞬時に察したようでした。このシャレに反応したのはおそらく私だけで、他の方々は聞こえていなかったかあるいはいつものアレとやり過ごしそれよりリーメンに夢中だったかと思います。ここに木元さんと私とふたりだけの、一瞬のマニアックな交信があった、それが妙に印象に残っているのです。
ゲルマンの若夫婦との会話の中にリーメンシュナイダーが顕れて、ふと木元さんのダジャレを思い出したのが2025年7月14日。南條さんから木元さんの亡くなったことを知ったのがその二週間後。ずっとずっと木元さんとはご無沙汰だったのに、短い期間に二度も木元さんのことを想起することになった不思議を思います。リーメンシュナイダーは偏愛の木彫家というわけでもなく、バイエルンの若夫婦のために半ばお世辞で言っただけですので今後もあまり出てくることはないでしょうが、チャイナハウスでリーメンをいただくときには、「お、やはり(してやったり!)」と笑った木元さんの顔を思い出すと思います、そして、最近とみに感傷的な私は、普段はダジャレなど発しませんが、「おお、リーメン! リーメンシュナイダー!」とそっと呟いてしまう気がします。

